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今日”終戦の日”



1945年8月14日 連合国にポツダム宣言受諾を通告

 8月15日正午 終戦詔書放送により日本の降伏が知らされた



第2次世界大戦 死者5500万人 市民の死者3000万人という

日本は1941年12月の日本と米英と開戦 日本の死者300万人超

この数字(犠牲者)・・・これが戦争



当ブログは声を大にして云う

戦争はダメ 戦争はイヤ 戦争はダメ 戦争イヤ 戦争はダメ 戦争はイヤ 戦争はダメ 戦争イヤ 

戦争はダメ 戦争はイヤ 戦争はダメ 戦争イヤ 戦争はダメ 戦争はイヤ 戦争はダメ 戦争イヤ



☆少し前に書いた文☆



“火炎と火災風に追われて、隅田川の堤まで来た。
公園になってる一帯は、避難してしてきた人たちで溢れている。
その人達の荷物に火が移って、次々に火に倒れていく。ここも安全ではない。
炎の中に勇気を奮って父と二人して突き進み、堤の上にでる。
堤防の向こう、川の中に、小さな“島”があるのを知っていたので、そこへの逃避行である。
火が遮っていたので、さすがにそこにいる人はまばらだった。

だが、周りは、火を逃れて川の中に入った人達・・・、
その大半が溺死体になって浮いていた。200mほど離れたところにある小高い丘、
その上の由緒ある神社が真っ赤に燃えている。やがて強風に乗って、神社の大柱が大きな火の玉となって、
ここまで飛んでくる。鉄兜をそちらに向け頭をかがめて・・・・・。

そんな地獄のような長い夜が明けた。どうにか生き延びた。

目は煙でやられてよく見えない。とぼとぼと歩き出す。
目を凝らすと、至る所に真っ黒な丸太がある。それを跨いで、また跨いで歩く。

ハッとする。丸太ではない、遺体だ。

ku-2b.jpg

黒こげになって横たわってる女性の目とぱったり合った。やがてその人は瞳をとじた。今でもあの“目”が忘れられない。”(私の東京大空襲)

“川からあがると、朝日が煙にさえぎられて、鈍いオレンジ色に見えた。

たくさんの焼死体、死臭のなか、放浪者のわたしは~~。”                            

1945年3月10日未明、東京の下町の広い一帯は大空襲に見舞われた。
たくさんの米爆撃機は2千トンもの焼夷弾を落とし、非戦闘員の一般市民が10万人以上も犠牲になった。

東京に初めて空襲があったのは、1942年4月18日。それから少し間を置いて、

1944年11月末頃からは連日のように爆撃が行われ、1945年8月15日の終戦まで続いたのである。

中でも、1945年3月10日の空襲は規模は大きく、“東京大空襲”として人々に記憶されている。

東京、両国駅のすぐ近く、東京都慰霊堂がある。

大正12年9月1日の関東大地震の犠牲者の慰霊と納骨堂としてたてられ、

当初は東京震災慰霊記念堂とよばれていた。

東京大空襲の犠牲者は当時公園その他130数カ所に仮埋葬されていたが、

1948年~51年までに慰霊堂を拡張し、遺骨を納骨堂に納めた。

それから、“東京都慰霊堂”と名が変わった。
その脇に、“東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑”が作られ、

毎年ここで、3月10日に慰霊会が行われる。

そこの近くで、“東京空襲資料展”が開かれていたので出掛けた。

参加者は、3階の会場入り口まで長い列になっていた。

列に並んでいると、あちこちから“あの時おばあちゃんとはぐれ・・・

”“わたしは風上に向かって逃げて・・・”等々の会話が聞かれた。

ku-5.jpg


「東京は100回を超える空襲に見舞われ、とりわけ1945年3月10日の大空襲により、

下町地域は壊滅的な打撃を受け~」の説明から始まって、様々な資料が展示されていた。

もんぺや軍服調の衣服、衣服配給券、羅災証明書、マッチ回数購入券まであり、

焼夷弾や爆弾の破片、惨状を目の当たりにする写真、融けた日用品等々・・・・・。 

心痛むものばかりだ。
参加者の多くがご自身、空襲の体験者とみえて、資料を見ながら生々しい話しをしていた。

下町周辺の地図が掲げられていて、
被災して部分が赤く表示されていたが、それは東京の大部分だった。これでは逃げようがない。
あまりに悲惨・・・・・・・・・。
我が父と長兄もまた、この中で九死に一生を得たのだ。
その父達が逃げ込んだ近く、・・・それは自分の子供の頃の遊び場でもあるが・・・を歩いた。
平和な春の日差しに、ハトやカモメが飛び回っていた。

向かいのお寺で、“すいとん”の試食会があった。

覗いてみたら、具だくさんの今風のもだったが、戦後の食生活の一端を体験できた。

つい半世紀前、この国にあったこと、そう遠い出来事ではない。こんな悲惨が二度とあってはならない。

“戦争はノー”を言い続けなければ・・・・・・・・・。  


  
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2013.08.15 Thu l 写真 l COM(0) TB(0) l top ▲

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