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霧ヶ峰

広大に拡がる湿地帯

下界に先駆けて

秋が忍び寄っていた

爽やかな風を頬に受けて

木道を

この一時

爽やか
2006.08.31 Thu l 写真 l COM(0) TB(0) l top ▲
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暑かった

こんな宵になっても

蒸し暑かった

そんな夜の大通り

大サウンド

飛び跳ねて踊る人々

暑かった

でも

明かりに浮かび上がった

あの形相は

どうして

みんなこわい顔

なんだろう
2006.08.24 Thu l 写真 l COM(0) TB(0) l top ▲
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なつ

抜けるような蒼空

突き抜けていきたいような

蒼空

でも

もうアキアカネが

時は

走るように

過ぎてゆく

2006.08.23 Wed l 写真 l COM(0) TB(0) l top ▲
東京の・・・に10日ほど滞在。
(たった今一時帰宅)

伸びすぎた庭木を大鋏でチョキチョキやっていたその時、
左頬と右腕に激痛!!!
一散に浴室に飛び込んで、シャワーを浴びていた。
その痛さはこれまでの人生でも希有な痛み。


何時間かして、再び用心しながらチョキチョキ・・・
再び頭と腕に激痛が・・・・
ここで「蜂に刺された」と初めて気づく鈍感さ。


次の日、「ハチ退治」スプレーを手に、
分厚くく長いゴム手袋、白い帽子、
白いシーツをぐるぐる巻きの出で立ち。
まるでアラビアのローレンス!の重装備で挑戦。
スプレーを吹き付けながら近づき、ついに発見!蜂の巣。。。

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さてこの「蜂の巣」をどうして撤去するか・・・
思案々々・・・
忍び足で憎っくき姿をアップで撮影、
ネットで検索、
どうやら「フタモンアシナガバチ(スズメバチ科)」と見当をつけた。

役所の「私有地はご自身で・・・・」での回答に決心。
翌日またまた「ハチ退治」スプレー(2本)を手に、
さらに厳重な?身繕いで挑戦。
遂に壊滅作戦に成功!!


この時期が活動期のようです。
みなさんも「ハチの一刺し」にご注意!




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2006.08.20 Sun l 写真 l COM(0) TB(0) l top ▲
早足で40分ほどの距離に都会(大都会とは言い難いが)の中にしては希有な
自然を残したスペースがある。
葦(ヨシ?)を伸びるに任せ、木道風の遊歩道を設えた自然観察園。



遊歩道の周りは全て湿地帯。
というよりこの奥行きのある、妙に細長い公園のほとんどの面積は、
湿地帯で占められてるといった方が正確だ。

まさに自然なのである。
勿論人が作った公園なので、
全くの手付かずの自然である筈はないが、
遊歩道を進む風情は小さいながら「自然」の満艦飾なのだ。

水藻が漂う水面が周囲の木立を映し込んで、
小さなさざ波を打たせている。



名も知れぬ草が繁茂する岸辺に、大砲のような長いレンズを付けた一団が、
小さな水面を囲んでいる。
カワセミの登場を、日がな待ち続けているのだ。


風に揺れる木の葉の音、超低音で鳴くウシガエル、
ジィーじぃーと唄う蝉、それらだけがBGMだ。

そんな風景の中に溶け込んで、雲ひとつない青空、
容赦なく照りつける太陽の下、ベンチにかけながら遠く正午のチャイムを聞く。




バッグから「速効エネルギー」と記されたパックを取り出し、
ジェリー状の液体を口に流し込む。

さらにボトルに口をつけて飲む。
黒酢、ハチミツ、少々の塩それらを適当にボトルに入れて、
水を目一杯に満たし、冷凍させて外出時に持ち歩く。
自製のスーパードリンクだ。

気のせいというヤツで、元気が出るような気がする。
それにしても身体中玉の汗だ。

水飲み場で白の野球帽に水を浴びせる。
水滴がしたたり落ちるそれを被る。暫しの涼。



そんなきょうが

もうすぐ暮れてゆく。

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2006.08.14 Mon l 写真 l COM(0) TB(0) l top ▲
昨日、午前11時2分

あの日から61年目の長崎

∞∞ のどが乾いてたまりませんでした
  水にはあぶらのようなものが
  一面に浮いていました
  どうしても水が欲しくて
  とうとうあぶらの浮いたまま
           飲みました∞∞

     あの日ある少女の手記
と銘文に

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その碑を囲むように「水」を噴き出して

昨年末2度目の訪問の日も暑く

真っ青な空だった

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☆平和祈念像
 長崎県長崎市松山町にある平和公園にある
 故北村西望によって造られた

神の愛と仏の慈悲を象徴
高く掲げた右手は原爆の脅威を
水平に伸ばした左手は平和を
軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈って

被爆10周年にあたる1955年8月8日に完成
像の高さ9,7メートル、台座の高さ3,9メートル
重さは約30トン
鉄骨を芯にして
青銅製のパーツをステンレスのボルトで縫ってある

2006.08.10 Thu l 写真 l COM(0) TB(0) l top ▲
再び平和記念資料館に入った 
館内を歩いて胸が苦しくなってくる  
これが戦争 これが戦争の現実
人は簡単に“地獄のような”と形容をするけれど ……

    コレガ人間ナノデス    
    原子爆弾ニ依ル変化ヲゴランクダサイ
    肉体ガ恐ロシク膨張シ  
    男モ女モスベテ1ッノ型ニカエル
    オオソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
    爛レタ顔ノムクンダ口カラ洩レテ来ルノハ
    「助ケテ下サイ」
    コレガ コレガ人間ナノデス
    人間ノ顔ナノデス

 「夏の花」 原 民喜(1905〜51)著

1945年8月6日 
戦況は限りなく終息に近づいていた 
その中で広島 長崎が……

これだけは言える 
絶対に言える 
『戦争ではなにも解決しない』
取り返し得ない惨状と憎悪と だけが残って……

通路にTVモニターが置かれている 
ボタンを押すと画面で被爆者の方が被爆体験を話される 
外国人が熱心に画面を
見つめてる(英文のテロップが出る) 
その横のテーブルにノートが2冊置かれてあった 
署名用と感想文用と
その一冊に「それでも 
やはり日本が悪い」と 
たどたどしい文字で書かれてあった

“国境も 武器も 宗教もみんな人が作った 
そして それが争いになった  
戦争が 戦争がみんな悪い  
でも  
救いはある  
人には 英知がある 愛がある”

と私はノートに記した

“広島”“長崎”はもう半世紀を過ぎた 
若人には歴史の1ページになってきた
人類はこの半世紀いかほどの前進をなし得たか
地球上の至る所で紛争は絶えることがない  
核は相当量現存する 
決して広島 長崎は終わっていない 
古い過去ではない

  LennonのImagineの一節
     ☆☆Imagine☆☆  by John Lennon
       
  Imagine there`s no countries
  It isn`t hard to do
  Nothing to kill or die for
  And no religion too
  Imagine all the people
  Living life in peace yuhuh
     
雨の中 
気を取り直して1時間ほど路面電車に乗って宮島に出た 
宮島口から船で渡る 
雨に濡れて紅の伽藍は美しかった
海中の鳥居は干潮時で根本まで露わにしている
1168年清盛が造営し 
1500年半ば自身達の戦で荒らしたこの社を元就が再建した 
1996年12月世界遺産に
指定されたこの一帯の建造物 
能楽堂が一際風情があって印象的だった

ホテルに戻り疲れた
体と頭をバスタブに浸かりながら癒す明日は神戸だ
TVニュースを見ながら深い眠りに就いた

日目の朝も早く起きた 
朝食を済ませ 
そうそうに街に出る
この街のタクシーのスピードは東京よりすごいなと今日も感じる
広島を後にして乗った新幹線は兎に角トンネルが多い
昼過ぎ定刻に列車は新神戸に着いた 
地下鉄で三宮に この街の喧噪は想像以上だ 
大震災の痕は一見何処にも見あたらない

きつい北野坂を上る 
異人館街を急ぎ足でまわる 
眼下に神戸の街が見渡せた
ポートライナー(新交通)を降りたところは
埋め立てで出来た街仮設住宅が並ぶ一角があった 
未だ余儀なくここに居住されている方々……
やはりあの大災害は終わっていなかった

夜のとばりに追われるように 
不案内な神戸の繁華街をホテルに向かう

4日間の旅は終わった 
思い立つままカメラを持っただけの例に漏れず不勉強な旅
ただヒロシマ 
阪神淡路大震災と言う重いものを
念頭に置いた今回の旅 
思うことはいろいろあった

核のない 戦争のない 
争いのない 
災害のない世界は夢なのだろうか……

☆12才で散った少女サダコ☆ 

“原爆の子”の像は彼女がモデル 
彼女が折った鶴が資料館に飾られている

『990まで折った折り鶴 
 1,000まで後10を残して散った少女』
今 世界中で「サダコストーリー」として学校の教材にもなっている

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2006.08.09 Wed l 写真 l COM(0) TB(0) l top ▲

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簡単にシャワーを浴びて 窓から外を見る
高い位置から見る平和通りは 
広く美しい カメラを持って外に出た
 
夕暮れの並木道をゆっくりと歩く
平和記念公園に着いた 
夕日に照らされた原爆ドームのむき出しの鉄骨は紅く染まっていた

“原爆の子”“祈りの像”“平和の塔” 
たくさんの像が建っている
その周りには夥しい数の折り鶴がうずたかく置かれていた
一つ一つに込められた祈りが伝わってきて 
薄暗くなった夕景に
鮮やかな色彩のそれは強烈な印象だ 

明るさを増した平和の灯
その向こうに 市民球場がある 
ナイター(プロ野球)の照明灯が眩い 
連れだって散歩する人達 
リュックを背負った外国の人達も目立つ
昼間とはまた違って 
僅かに明るさの残る空をバックに静かに建つ数々の彫像や
ドームの印象が胸に迫る
暫しベンチでこの光景に浸る 

何故か頭の中で半世紀前を追っていた
1945年3月10日未明 
東京浅草は炎の海だった 
実際のそれは知る由もないが 
父や兄から幾度も話は聞いている
燃えさかる炎に追われ 
家を捨て隅田川畔の公園を目指して逃げた 
そこには恐らく数千の人達が居た 
そこへ火の粉を伴った強風が襲う
持ち物に火が移り 
バタバタと命を絶たれる 
追われて逃げた人達は
隅田川に飛び込む 
寒さと衰弱でやがてそこでも命を絶たれる“地獄絵” 
父と長兄は累々とした屍を越えて 
九死に一生を得た

ふっと目を空に向けると 
もうすっかり暗くなっていた 
平和通りを急ぎ足でホテルへ
ベッドに臥せて 戦争 平和を考える 
頭の中は堂々巡り 疲れた体はなかなか寝付けない

2日目は6時30分に目覚めた 
窓の外はすごい雨だった

今晩のルームリザーブをフロントに電話したら 
空室がないと言われる 
ホテルガイドを繰って何軒か電話して
他のホテルを確保した  

明日は神戸に行って
震災後の街を見ようと決めていたので
序でに明日の神戸のホテルも電話でリザーブした

バイキングの朝食を階下のレストランで詰め込み 
広島駅に向かう

JRの緑の窓口で明日の広島11:18発 
新神戸13:00着のチケットを買う 
荷物を駅に置いて路面電車に乗った 
市内を低廉な料金で縦横に走るこの電車 
都心の移動手段として最近各地で見直されているようだ
電車を降りてドームに向かう  
土砂降りの雨で行き交う人はまばらだ

降り注ぐ雨の如く今も人間社会には紛争の種は後を絶たない
そしてそこに 
核所有の 
軍事力保有の論理が声高に語られる

寂しげにドームが雨の中でたった一人 
必死に「平和」を叫んでるように見えた

2006.08.08 Tue l 写真 l COM(0) TB(0) l top ▲
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先年、広島を訪れた時のメモ その1

荷物をコインロッカーに入れて 駅前の通りに出た
抜けるような青空がいきなり目を射った
東京では見慣れていない路面電車が
列をなしてゆっくりと走っている 
その脇をすごい本当にすごい早さでタクシーが走り抜ける 

早朝の新幹線の書類を繰る音やキーを叩く音ばかりの 
まるでオフィスの延長のような 
あのなんとも言いようのない静けさの中で
「コレガ人間ナノデス」で始まる 原 民喜の詩を読んでいた
実はこれを読んで 急に今度の旅を始めた
「この歳まで訪れてないなんて」と……

広島の街の第一印象は「喧噪」だった 
知らない街ではいつもするように 
駅前の市街案内板でおおよその地理感を掴み
タクシーに乗った「ドームまで」

夏のような日差しの中に 原爆ドームは静かにあった
本や写真で脳裏に焼き付いていたあの姿 
静かに建っていた周りを鉄柵で囲まれ 
その周りには大きな木が青々と繁ってる むき出しの鉄骨 
崩れたままの瓦礫 補強されて保存されたこの建物
あの出来事の象徴は 
銅像のような印象をさえ与えている
囲む樹木の大きさに永い経過(とき)をつくづく感じる 
鉄柵越しにシャッターを切りながら何回も廻っていた 
ある位置では逆光を 
またある位置ではポイントライトを浴びて
惨い惨禍の跡のそれ…だのに
何時の間にいいアングルを探している自分を責めた

橋(元安橋)を渡って 
“平和の灯”を目指す 
この橋の下の川にも悲しい悲惨な過去が あろうに 
いまは美しく整備されている
明るい空の下 思ったより控えめにその灯は揺れていた
“安らかに眠って下さい 
過ちは 繰り返しませぬから”の碑を覆うように石のアーチ

その向こうに平和の灯 原爆ドームと直線上に……
映像で何度も見ていた光景が 
静かに厳粛に目の前にあった
その碑の前にたくさんの制服の高校生が
列をなして黙祷をしている
花束を手にした涙目の老夫婦 
3人の外国人が英文の説明を読んでいた
若い母親が小さな女の子に静かな口調で話している
その人達を追いやるように 
胸に同じバッチを着けた一団が大声で呼び合いながら
記念写真を撮り合い始めた

ファインダーを覗きながら
“過ちを繰り返さないよう”我々は
何をしてきたか 何が出来たか
自問しながら黙して頭を下げる
2006.08.06 Sun l 写真 l COM(0) TB(0) l top ▲
バリエーション・コーヒーの一種で、
コーヒーにスパイスを入れたものは
昔から世界各国で飲まれている。

いまでも地域によっては何種類もの
スパイスをコーヒーの粉と一緒に煮詰めたものを飲んでいろ。

たとえば、
もっとも古くからコーヒーが飲まれた
エチオピアや中近東では、
ナツメグやシナモンを入れたコーヒーがある。

イタリアのカプチーノにも
シナモンやココアは欠かせない。

スパイスとコーヒーは実に相性がいいということ。

いろいろなスパイスを入れて、
オリジナルのバリエーション・コーヒーを
つくってみるのもおもしろそう。

ただ、
スパイスが強すぎると
コーヒーの風味を殺してしまうので、
入れすぎには要注意!
2006.08.05 Sat l 写真 l COM(0) TB(0) l top ▲
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ブレンド・コーヒー!

現在は、喫茶店でも販売店でも、豆の配合比によって
その店の オリジナリティを出すブレンド・コーヒーが・・・・

さて、ブレンド・コーヒーの魅力とは、
豆本来のもつ個性を楽しむスレートに比べて、
調和のとれた味と香りが つくれることに。

ちなみにブレンドは生豆の段階で行う方法もあるが、
豆は品種によって最適の焙煎度合がある。

個々の豆の味を最大限に引き出すには、
少々の手間と時間はかかっても、
品種ごとに焙煎して、
その後にブレンドするやり方がベスト。

A ベースになる豆(ブラジル・コロンビアなど)

B 個性の強い豆(モカ・マンデリン・タンザニアなど)

C 味や香りをつける豆(グァテマラ・コスタリカなど)

A+B、A+C、B+C、A+B+Cと
組み合わせを楽しむとよい。

BやCをベースに組み合わせるのもGood!(^^)
2006.08.04 Fri l 写真 l COM(0) TB(0) l top ▲
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∫イエメン∫

17〜8世紀ヨーロッパ各地から頻繁に出入りした商船によって 
伝統的なコーヒー生産国として
世界市場にその地位を確立した

イエメンの港町モカは
世界にコーヒー銘柄の名前として知られている (モカ港は現在は閉鎖?)

中世期後半イスラム教徒に
初めてコーヒーを与えた宗教的なゆかりと
伝統を持つアラビア式コーヒー

浅めに煎った豆を挽いて
スパイスを加えたものが多い 
かなり苦いがすっきりした味わい

この国もコーヒーは社交の必需品で
友好の証しとされている
2006.08.03 Thu l 写真 l COM(0) TB(0) l top ▲
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∬エチオピア∬

アフリカ最古の独立国 広さは日本の三倍

海抜1000〜3000mのアムハル高原はコーヒーの本家

エチオピア式コーヒーは味・社交儀式を重んじて
コーヒー生産国としての1000年からの誇りと伝統がある

人を招き社交の主役コーヒー…

(正式には)先ず家の前に香を焚き 
豆は若い娘が洗う
 
フライパン様の錫の鍋で薪を使って豆を煎り
木製の鉢に入れ棒を使って潰す
 
陶製のポットで沸かした湯に粉を入れ
数分火にかけて 泡たたせてから上澄みを飲む

クローブやジンジャーを加えたり
地方によっては塩やバターを加えることもある

取手のない小さなカップで 
主賓は年長者から飲む
2006.08.02 Wed l 写真 l COM(0) TB(0) l top ▲